X-GAMESのゴールドメダルを3回、2013年のX-Fighters大阪では日本人として初の優勝。その輝かしいまでの経歴を思わせないほど謙虚さ。世界で戦うTAKAが、長時間インタビューに答えてくれた。

(※本記事は本誌ダートスポーツ9月号にて掲載したものに加筆修正したものです)

vol.1はコチラ。

C_01

3ヶ月、食パン2枚の節約生活で激やせ

DS:そもそも、なぜアメリカに行こうと思ったんですか?
TAKA:21歳のころ、日本でデモとか走ってて、ちょうどひとつのスポンサーさんが支払いもないままいなくなってしまって…。バイクとか自分で支払いをしたらショーでコツコツ貯めてたお金がゼロになってしまったんですよね。ヤバイ、どうしようって。夢はX-GAMESやし、でも今から普通に貯めても間に合わへんしって。その時ちょうど、昔プラザ阪下でみんなで遊んでたメンバーのひとりの、中野さんっていう人に15年ぶりくらいに会って。「お前、なんかあったら話しにこいよ」って言うから、お金ないことも全部説明して、スポンサー探してるんですよって話したんです。そしたら「お前の夢はなんや」って。「僕の夢はアメリカに行ってX-GAMESに出ることです」って言ったら、「なら、なんでお前ここにおんねん」って。「い、いやー、それは〜…」てなるじゃないですか(笑)。「お前来週から行ってこい」。「えっ! でも英語もアレやしー、バイクもアレやしー」とか言ってたら「お前、今から片付けるものは全部片付けて、日本のショーもキャンセルして、彼女も別れて、保険も電話も全部解約して、クルマも売って、日本に帰れない状況を作って、それでもアメリカに行ける根性があるんだったら行ってこい」って言われたんですよ。

DS:すごい展開ですね。
TAKA:「お前、最初の3ヶ月でいくらかかんねん」って。その前に1ヶ月だけ観光で行ってたんで、ガソリン代とか食費とか書いて提出したら「これはいらん、これもいらん」とかバッサバッサ削られて(笑)。いっちばんギリギリの額を言われて、それが3ヶ月分で60万円だったんですよね。ただバイクには毎日乗るっていう約束で。「これでアメリカに行きたいって思うなら、行ってこい。でもビビって日本にいたいと思うなら、その60万握って日本におれ」って。この2つの道。どっちにも進める。お前が選べって。「ど、どうしよっ!」ですよ、ホンマに。それが21歳。初めてホンキでチャレンジしたとき。飛行機で、もう日本に帰って来れない気分なんすよね。

DS:渡米後の話もぜひ!
TAKA:生活はもう1ドル単位で使った金額を書いて毎月提出して、節約。だから僕最初の3ヶ月でゲッソリ痩せたんですよね。何が節約できるかって言ったら、もう食費くらいしかないんです。ガソリン買わなきゃいけない、タイヤ買わなきゃいけない。だから食パン買って、マヨネーズ塗って2枚、夜だけ。朝、昼なんも食わずに練習行って、ってのをもうずっと繰り返して。3ヶ月経って日本に帰る時間が来て、そんときも中野さんに「お前、次のこと考えんといかんぞ」って言われてて。ってことはビザなんすよね。どうやったらアメリカにおれるか。その3ヶ月で弁護士探して、ビザ取得活動です。色んなスポンサーのレターヘッドがいるのでトゥイッチに助けてもらって、最初の帰国の時にギリギリ完成させて、帰国したらその間に大使館に面接行って。こんとき俺はもう、次のアメリカ行きの飛行機も取ってるんですよ。間に合わなかったらアウト。ギリギリ! ヨッシャーって感じで。中野さんにも俺がゲッソリ痩せてるの見て本気だって分かってもらえました。そこでDビザっていうアマチュアのビザが取れて、また3ヶ月のスポンサードしてもらって、そこでデューツアーで2位に入れたんです。ネイト1位、2位が僕、3位トゥイッチ。その結果を見て、X-GAMESが呼んでくれたんですよ、初年度に!

C_02

「障害物はひとつづつ取り除く。ちょっと急ぎ足で」

TAKA:初めてのX-GAMESはね、もう当時は何が危ないとか、この技は危ないとか分からないんですよ、今は俺が若手に教えてあげることができるけど。それでメローなジャンプでインディーフリップ、回転早めないといけないやつでピャっとやったら着地が目の前にあって(笑)。バコーンって。気を失って鎖骨折れて。目が覚めたら、X-GAMES終わってるー!(笑)。でもその年のデューツアーが5戦あって、ランキング5位、そのあとOビザ(アスリート)が取れて3年間おれて。初めて収入が得られるようになってきて、そのビザを2回やって、去年の1月に東京の大使館で、グリーンカード。やっと、夢が叶ったって感じです。

DS:世界の舞台で戦うためには、どんなことが必要だと思います?
TAKA:「世界」と思わないこと。こんなしょーもない、どうでもいい大会で、どうなろうと知るか、くらいの気持ちで走ったのがX-GAMESです。2012年。じゃないと緊張してヤバイんで。準備して舞台に上がるじゃないですか。わざとイベントを小さく見せるというか、そしたらうまく行って、あとからリプレイ見て「うっわ〜、良かった〜。怖かった〜」って。それも覚えてたはずなのにXファイターズ大阪ではガッチガチです(笑)。まあでも気持ちは強く。こいつが速い、とか関係なく。わざとでも自分が一番、って思い込むことが大事やと思います。これでだいぶ変わりますね。あとは、思った事にまっすぐ。目標に対して何が必要か。目標ってのは設定したら、そこに行くまでに障害物がいくつもあるんすよね。そしたらそれをひとつ残らず、ひとつづつ、ちょっと急ぎ足で、全部取り除いていく。そしたら絶対に届くと思うんですよね。だいたいの人は後回しにしてしまったり、ちょっとめんどくさくなったり、これが今ひっかかってんねん、で終わってしまったり。でもひっかかってるんだったら、どうすればそれを克服できるかを考える。例えばビザでも、なんとしてでも取る。まあ偉そうに言うてますけど、東野貴行はこっから下がって行くだけなんで(笑)。急降下!

DS:いやいや(笑)。でも中野さんのサポートが大きかったんですね。
TAKA:もう本当にね、僕のなかでは予言者ですよ。「常に次のことを考えろ」。「人の3倍努力しろ。2倍までは誰でもやるから」。「もしお前が本気の本気で頑張ってたら、絶対誰かの目にとまる」って。そん時はボクも正直、そんなアメリカに知りあいもおらんのに…って思ってたけど、トゥイッチが見つけてくれた。中野さん、言った通りや!(笑)。トゥイッチが「お前一緒に住め、一緒にショー回れ、スポンサー全部変えろ」って。もうね、全部人との出会いです。有り難い。あとはやっぱり行動することですよね。真剣やったら誰かが助けてくれるし、逆に迷ってる人は助けにくい。思ったことはすぐやる。もう中野さんに会うときはね、今でもケツ汗びっちょりですよ。圧がすごい。

DS:(笑)

vol.3へ続く。

B_02

東野貴行
TAKA HIGASHINO
1985年3月13日生まれ(29歳)/大阪府出身
2010 Dew Tour ゴールド/Red Bull XRAY ゴールド/ X-GAMES Best Trick ブロンズ
2012 X-GAMES Best Trick シルバー/ X-GAMES Freestyle ゴールド
2013 X-GAMESブラジル Freestyle ゴールド/X-GAMESロス Freestyle ゴールド/ X-Fighters OSAKA 優勝

 

Follow me!

この記事の著者について

アバター画像
ダートスポーツ編集部.月刊ダートスポーツは毎月24日発売!!
月刊ダートスポーツ 編集部です。
Tagged with: