ハードエンデューロの草分け的存在である和泉拓が昨年よりはじめた「ハードエンデューロの入門」的イベント、SUGOアタックエンデューロが5月3-4日に開催。昨年のピリ辛設定から一転、激辛大盛となった今年の勝者は、ゲストライダーをも退けて木村吏。ダートスポーツでは、古くから木村を取材しているので、記事を掘り起こしてみた。下記記事からは3年の時を経て、「彼女」は「奥さん」に(奥さんもアタックエンデューロチャレンジクラスを完走、レディス部門で1位)、木村は今COMP Aクラスで激走中。

エンデューロ一家

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日本人なら誰もが知っているカルチャー誌、ブルータスにおいて記念写真が題材になるほど、今は家族写真のブームだ。今ある、幸せな形、それはあるいみでは儚く、特に子供が成人してしまえば、正月に一度撮れればいい方。

木村親子の場合、1年に何度も親子揃って決定的な瞬間を撮影されている。同じクラスで走っている時は、親子でホールショット争いをしている写真。はじめて二人とも表彰台にあがった時。息子の初優勝。その1枚1枚が信じられないほどに幸せに満ちあふれている。こんな幸せなエンデューロ生活が他にあるだろうか?

木村親子は、エンデューロに深い歴史を持つわけではない。父である聡さんは、元々JAFADAという四駆のアスリートで、東北選手権のチャンピオン。全日本でも5位入賞をしたことがあり、20年ほど続けたそうだ。41歳の時トライアルをはじめてIBまで昇格。息子にもやらせたいと思ったものの、息子吏さんはあまり興味がなかったらしい。

だったらモトクロスへ。親子で戦えるエンデューロにまずは出てみようか、ということでチーズナッツパークのにこにこエンデューロがデビュー戦だったそうだ。はじめてのバイクは07年式のCR85。吏さんも17歳になっていたので、すぐにKX250Fに乗り換えてグイグイとエンデューロにはまっていく。幼い頃から、レース会場でもなんでも親子は一緒に行動していて、そのフィールドがエンデューロに変わったということらしい。ちなみに、奥さんはCRF230に乗り、家族ぐるみでつきあう吏さんの彼女はKTM85SXを買ったばかりだそう。絵に描いたような理想郷が、木村家にはある。

目指すはエンジニア

FUN GPのBクラスで木村親子ががんばっていたのは記憶に新しいが、昨年はCOMP GPのBクラスに。今年は、聡さんだけAクラスに昇格していてクラス内現在ランキング18位。吏さんはBクラスでランキング6位。まだまだ、トライアルをやっていた地力が強く、父のほうが実力が上だとのこと(なお、父51歳、息子23歳)。聡さんとしては、目標はAクラスで走ることだったそうだから、ある意味やりとげたといっていい。上を目指すという意味では、先日のパワーエンデューロに、もう一人聡さんの友人をいれたチームで3位を獲得。素晴らしい成績を残している。

吏さんとしては、オリジナルでベストなバイクを作りたいというエンジニア的な目標がある。親子共々、バイクのハード面には非常に造詣が深く、いろんな手法でのモディファイにトライ。吏さんは、月山においてはCRF250Rを300ccにボアアップして初のトライをしてみたそう(ちなみに、昨年からつとめている就職先は、小林雅裕の後輩にあたる本田技研。熊本ではなく、埼玉に出勤している)。

木村一家自体は、茨城の常陸にある。JNCCで現地集合現地解散。こんなエンデューロ・ライフもあるのだ。

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昨年は、続きのゼッケン番号331、332で同じクラス。どちらもスタートがバツグンにうまく、多くのレースで親子ホールショット争いをしているというからスゴイ(2013年時)

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聡さんの愛車はYZ250。エンデューロ用に各所をモディファイしている。また、珍しいRedBullのデカールも目立つポイント。昔からトライアルタイヤを多用していたライダーの一人

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吏さんは、月山からCRF250Rにスイッチ。ボアアップなど大幅にモディファイされている。前までは、吉川和宏より購入したというKTMに乗っていた

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シャンパンシャワーはお手の物。はやくAクラスでのお立ち台がみたいものだ!

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木村聡 1962年生、茨城在住。メルセデスのメカニック/木村吏 1989年生、埼玉在住。芝浦工業大学卒業の後、本田技研工業に入社。開発を担当、2016年GSトロフィー日本代表

※2013年11月号エンデューロ人より

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