いまなお、オフロードバイク乗りの間で神格化されているライダー、三橋淳。今回のダカール参戦の報がどれだけ大きな影響力を持つかは、ダカール参戦プロジェクトのクラウドファンディングの勢いにも表れている。130人近くの応援を得てダカール参戦へ意欲を燃やす。クラウドファンディングは残り2日だ。
「三橋淳」は二輪と四輪の区別を超越する
四輪でキャリアを作ってきた三橋が、二輪にコンバートすることの意味は、簡単には理解できないかもしれない。三橋は「そもそも、二輪とか四輪とか、俺にはどうでもよくなってきているんだよね。選手とかダカールとか、そういう枠から離れているんだよ」と言う。今季は、自主制作映像に力を入れ、KTMとタッグを組んでいる。その様は、形容がしがたいが「活動する人」「アクティビスト」とでも言おうか。

「リターンというよりはコンバートに近い感じだよね。コンバートっていうのは入れ替えだからさ。競技の中では二輪を引退した形になっているけど、俺の中では二輪を捨てたつもりはない。自分のなかですべてが蓄積されているわけだし、その中の引き出しから競技というポジションに四輪から二輪に入れ替えただけだから、コンバートなんだよね。リターンライダーじゃない」と三橋は言う。
当然、いまなお日本国内でいえば第一線級のライダーだが、ダカールに挑戦することは簡単なことではない。「二輪で挑戦していた当時は、10位以内が見え始めてた。今は見えないね。四輪に乗るために、筋力を意識的に落としたんだよね。今は最終的にあの頃に戻っているけど、脂肪が増えているだけ。一時期は70キロまで落とした。12キロ落としたかな。別物って言われたほど。今のダカールは大変なんだよ。昔にくらべて、モトクロスライダーが活躍できるフィールドになったし、活躍できるマシンになった。だから、ある意味でレベルが高いね。それに、アフリカの時よりも、断然過酷。南米のダカールは60度の砂漠から氷点下の雨中を走る」と三橋。
あの二輪での3年間は特別だったのだ
2001年から2003年まで、ご存知の通り三橋は二輪でダカールに挑戦していた。
「あの時はもう完全にダカールに出るためだけに二輪から四輪へ行った。ホンダにとってはレース活動というよりは広報活動だったから『同じ人間で何年もやらない』というのが前提としてあったわけ。でも、俺は3年やらせてもらったんだよね。それまでは大体単発で行ったわけだけど、俺だけ始まる前から3年計画って言われて、特例中の特例だったんだ。あれは運が良くて。
二輪の時はみんな手探りだったから、それまではみんな自分でお金だけは出してバイク作っていたりしたし、こっちは朝霞を巻き込んでオートバイを作ろうという話になったから、それこそ本当に『なんじゃこのバイク!?』っていうのが最初にいっぱい出てきたわけよ。いつの時代のバイクじゃ! みたいな話になったよね(笑)。そんなこんなで1年が終わったときに、期待した成績が出なかったから、2年目はすごい縮小したんだよ。
それで『オートバイの本体は新車だけど、パーツは出ません』という話になって。それで2年目は成績が出たもんだから、3年目はありえないような金額になって、ありえないようなバイクが出てきたのが最後のあれ。ダートフリークに置いてあるやつね。これはファクトリーチームだってみんなに言われたくらい、衝撃的なバイクだったよね」と三橋は言う。
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